 
			話し手
浅山先生
社会保険労務士/エフピオ代表
慶應義塾大学法学部卒業。1995年11月1日に前身となる浅山社会保険労務士事務所設立。その後2020年10月28日に社会保険労務士法人エフピオを設立。
 
			聞き手
リクライブ二宮
リクライブ編集長
「台本なし一発撮り」でつくる採用広報コンテンツ制作『リクライブ®』編集長・デザイナー。
合コンデビューは悲惨な夜
大学に入ってすぐってさ、体育会で飲み会ばっかりだったんだよね。1年生のときにクラスで合コンがあってさ。
それまでお酒も飲んだことなかったんだよ、でも体育会だからさ「飲めるっしょ」って感じでじゃんじゃん飲まされたんだよね。そしたらその場で吐いちゃってさ、それから「お前とはもう飲まない」って言われたんだ(笑)
それでしばらく出会いのきっかけがなかったんだよね。
“リスト作れ”がきっかけの恋
秋にまたクラスで合コンの話になってさ「しょうがないから浅山混ぜてやるよ」って言われて参加したんだよね。
4対4でやってさ、一人と付き合うことになったんだけど、いろいろあって別れちゃったんだよね。
その後、彼女が出来ない事を同期に相談してさ「リスト作れ」とか言われてさ「リスト?」ってなるじゃん(笑)それでさ、前の合コンの残り3人を思い出したんだよね。そしたら「もうそれしかないじゃん」と言われてさ、連絡してみたの。それが、今の嫁さんです。
大学1年からの交際、早すぎる結婚
大学1年の後半から付き合い始めたんだけど、卒業して社会人になってすぐ授かり婚だったんだよね。
リクルートに入社して1年目に結婚してさ、23歳で子どもが生まれたんだよね。美しい話じゃないんだけどさ「むかしどきではなく、今どきでしたね」
マスオさん時代の極貧生活と家族支え
リクルートを辞めて社労士事務所に入った頃なんだけどさ、給料は14万円くらいだったかな。それで家賃7万円のアパートに妻と子ども2人と暮らしてたんだよね。
何だかんだ引かれて手取り10万円ちょっとでさ、毎日卵かけご飯と納豆ご飯の日々だったんだよ。それでもなんとか踏ん張れたのはさ、家族がいたからだったんだよね。
結局、凄く嫌だったけど子どものために義理の両親の実家に住むことにしてさ、そこから生活の立て直しが始まったんだよね。
帰らない日々、それでも続く夫婦
独立後は家に帰らないのが当たり前になっていたんだよね。駅から家まで歩いて35分でさ。朝はいいけど夜はつらかったんだよね。
気づいたら事務所に寝泊まりする日々が続いていてさ…よく離婚されなかったなと思うんだけど、向こうの包容力があったからなんだよね。
いつ離婚届が出てきてもおかしくないけどね(笑)
チームでつくる“人間くさい番組”
お便りには「浅山に聞きたい」って指名してくれる人もいるけどさ「今回は石川に聞きたい」とか、他のメンバー宛てでもいいと思ってるんだよね。
それぞれの考え方を聞けたら面白いじゃない。僕ひとりの声よりも、いい番組にするには皆様のご協力が必要なので是非お願いします。
それでは皆さん、今日も元気に行ってらっしゃい!
 
		「エフピオ浅山の運がいいラヂオ」は、社会保険労務士法人エフピオの代表浅山がお届けするおめでたい雰囲気のPodcast番組。浅山がエフピオのことや日々の考え、思いをありのまま話したり、たまにはスペシャルなゲストを招き、エフピオを深掘りしていきます。
 
				