法律の問題と感情の問題に向き合う
社労士の仕事

変わる社労士のカタチ、
変わらない人の力

これからエフピオをどうしたいか?というテーマ
法人代表・石川さんが語る組織の未来。創業者からのバトンタッチ、守りと攻めのバランス、人材育成の課題…。
社労士法人としての新しい成長軸を考えながら、AI時代にも必要とされる“人”の価値を見出していきます。

石川代表が社労士になった理由

「社労士を目指した理由は、社会正義じゃなかったんです」

——石川さんは、社会保険労務士として現在多くの企業の人事・労務課題に携わられていますが、そもそも社労士になろうと思ったきっかけは何だったんですか?

正直に言うと、「社会正義を実現したい」とか「労働環境をよくしたい」といった崇高な理由ではなかったんですよ。どちらかというと、ビジネスをやりたかった。当時の私はWebマーケティングや営業のほうに興味があって、社労士を志したのは、すごく戦略的な判断だったと思います。

——それは意外ですね…では、なぜ数ある資格の中で“社労士”を選んだんですか?

当時、シェアハウスに住んでいたんです。テラスハウス的な感じで、10人以上の男女が入れ替わりで生活していて、その中に、独立1年目で年商1000万円を達成している社労士の方がいたんですね。
彼女はおそらく女性の社会保険申請業務をメインにやっていたと思うんですが、話を聞いていて思ったんです。
「あれ?営業とWebマーケティングのスキルがあれば、これは自分でも再現できるんじゃないか」って。

「“自分でもできるかも”と思ったら、走り出してた」

——いわゆる“士業”って、専門知識が先行する印象がありますが…

もちろん資格が必要な仕事ですけど、「取った後にどうビジネスに乗せていくか」の視点が重要だと感じたんです。
それに、社労士の資格って働きながらでも目指せる“ギリギリの難易度”なんですよ。もちろん簡単じゃない。1年目はたった1点足りなくて不合格でしたし(笑)。でも「現実的に狙える国家資格」としては、かなり魅力的だったんですよね。

「会社を一度たたんだ時、“これからの自分”を本気で考えた」

——もともと学生起業をされていたと伺いましたが、そこから社労士の道に切り替えるのって、かなり大きな決断だったのでは?

そうですね。大学時代に起業して、神保町近くで法人営業やECサイトの運営を6〜7年やっていました。ただ、Webの世界は本当に移り変わりが激しい。特に検索エンジンの仕様変更には悩まされました。
当時うちのサイトはYahoo!のアルゴリズムにめちゃくちゃハマっていて、検索上位を取れてたんですが、途中からGoogleに変わって一気にアクセスが落ちたんです。
その時に「これを30代・40代までやり続けるのは無理だな」と思って、会社を畳みました。幸い借金もなく、綺麗に撤退できたんです。

——そこで社労士という道が見えたんですね。

はい。ただ、単に“手に職”をつけたいとかじゃなかったんです。
「検索で上位を取るって、社会的に意味あるのか?」
そんなことを考えるようになって、自分の中で**“社会的に必要とされる仕事”をやりたい**という感覚が芽生えてきた。
だから、社労士という専門性を持った上で、自分の営業力やマーケティング力を活かして“仕組み化”していけば、絶対に価値を出せると思ったんです。

浅山代表との出会いと入社当初──“アナログな社労士業界”に感じた危機感と、変革への一歩

「求人が全然なかったんですよ、当時は」

——資格試験の勉強を始めて、すぐに浅山事務所(現在のエフピオの前身)に出会ったんですか?

そうですね。1回目の試験で1点足りずに落ちたタイミングで、「試験に受かっても、実務が分からなきゃ意味がない」と思って、就職活動を始めました。
でも…社労士事務所の求人って、本当に少なかったんです。

——そんなに少ないんですね。

はい。当時ネットで「千葉県 社労士」って検索しても、出てくるのは千葉県の社労士会とか、資格予備校のサイトばっかり。個人の事務所の情報って、ほとんどなかったんですよ。

——今では考えられないですが、情報発信してる事務所って少なかったんですね。

本当に少なかったです。あっても、アメブロで1年更新止まってるとか、独自ドメインすら取ってないとか。当時の主流はOCNやSo-netのサブドメインを使ったページでしたね。
「あれ?これいつの時代のサイト?」っていうような(笑)。

「唯一、浅山事務所だけが“ちゃんとしてた”」

——そんな中で、浅山事務所のWebサイトが目に止まった?

そうです。ちゃんとしたホームページがあって、アメブロとも連携していて、ちゃんと情報発信していたんです。
それを見て、「あ、この事務所は何か違うな」と思って応募しました。

——当時、事務所は何人くらいの体制だったんですか?

浅山先生と事務スタッフが3人。ただ、1人は退職が決まっていたので、実質、入れ替わりみたいな形で僕が入りました。
でも、それが逆に良かったのかもしれません。
少人数だからこそ、いろんなことに関われたし、すぐに変革にも着手できたので

「営業は浅山さん一人…という体制に驚いた」

——最初に取り組んだのがWeb周りの整備だったんですよね?

はい。入社してすぐに、事務所のホームページをWordPressに乗せ替えました。
見た目は変えずに、中身だけちゃんとしたCMSにして、誰でも更新できるようにしたんです。

——ホームページの次は、営業体制の強化だったんですか?

そうですね。それまで浅山が一人で営業していて、他の事務員さんは書類作成に専念しているというスタイルだったんですが、それではもう回らなくなっていたんですよね。
ある日、先生が夕方に事務所へ戻ってきたら、デスクに書類の山が積まれてるんですよ。
それを一枚ずつチェックして、代行印を押して、ミスがあったら赤ペンで直して…みたいな。
「この体制、ヤバくない?」って思いました(笑)

「“独立したいです”って、最初から言ってました」

——そういう状況を見て「自分が変えたい」と?

実は入社の面接の時に、『将来は独立したい』って言ってたんですよ。
もちろん、「うちは学校じゃないから、5年は働いてね」とは言われましたけど、それは約束しました。

——入社時点で“開業前提”だったんですね。

はい。どうせ独立するなら、今のうちに自分が楽になる仕組みを全部作っておこうと。
「このアナログなやり方は、自分の代では絶対やらない」と強く思っていました。

——当時、業界全体はまだアナログな空気だったんですか?

はい。電子申請が少しずつ導入され始めた頃でしたが、ほとんどの申請書は手書きでしたよ。
僕は前職で光回線の申し込みとかを全部システムで完結させていたので、「まだ紙でやってるの!?」って衝撃でした(笑)。

「デジタル化の第一歩、それがエフピオの原点になった」

——初めて担当した業務って覚えてますか?

はっきり覚えてます。「賞与支払届」という書類を手書きで書きました。
帳簿から金額を転記して、50人分くらいを全部手で書いて…。

——そこから石川さんが、デジタル化を一気に進めていくわけですね。

はい。僕、手書きがとにかく苦手だったので(笑)
もう片っ端からデジタルに置き換えていきました。
その頃から、同じような感性を持つメンバー──津田や金田など、今のコアメンバーたちが少しずつ加わってきて、チームで“変えていく空気”が生まれたんです

——まさに“変革のはじまり”。そのエネルギーが、今のエフピオの強さに繋がってるんですね。

そうですね。当時の危機感や違和感が、「じゃあ自分たちでやろう」っていう推進力になったと思ってます。

顧問先が増える仕組みが出来てきた──営業体制と組織の進化、そして2本柱の事業戦略

「営業とコンサルと実務、全部やってました」

——入社当初からWebや業務改善を手がけられていましたが、営業活動はどのように始まっていったんですか?

最初は本当に全部やってました。営業もするし、就業規則の策定もするし、手続きもやるし…。いわゆる「プレイングマネージャーどころじゃない」っていう感じでしたね。
まさに。事務職員は事務だけというスタイルでしたけど、それ以外はみんなプレイヤー。だから、営業から実務まで1人で完結することが普通だったんです。

——そこから徐々に組織化が進んでいくわけですね。

はい。仕事ができるメンバーが入ってきたことで、明らかに生産能力と営業能力が上がったんです。
それまでは浅山が1人で対応してたから、対応キャパ自体が限界だったんですよ。
夜10時くらいまで書類チェックしてたこともありましたから。
でも、営業窓口が増えたことで、セミナーや紹介経由のお客様もどんどん対応できるようになって。
毎年、顧問先が2桁ペースで増えていくのが当たり前になっていきました。

「浅山代表が“セミナー型”で集客を確立してくれてた」

——営業の起点はセミナーだったんですか?

そうですね。浅山がずっとセミナーをやっていて、それが非常に効果的でした。
自社開催だったり、呼ばれて登壇したり。その流れの中で、登壇者が増えていって、僕も登壇するようになりました。

——セミナーって、信頼も築けるし効率もいいですよね。

まさにそうです。足で稼ぐ営業ではなく、ある程度効率的に“待ってる側”になれる営業に変えていけたというのは大きかったですね。
そこにメルマガや紹介も組み合わせて、仕組みとして安定したという感じです。
1人じゃできなかったことが、チームになることで一気にスケールした感覚がありました。

——ちなみに、石川さんが社労士資格を取ったのっていつ頃だったんですか?

えっと…5回くらい受けたので(笑)、たぶん平成30年か31年の試験ですね。5〜6年前くらいになるのかな。
毎日夜8〜9時まで働いて、そこからスタバに行って閉店(24時)まで勉強してました。
本当に時間がなかったけど、逆に「追い込まれて集中する」みたいな感覚でしたね。

「法人化を見据えて、“仕組み化”が加速」

——その頃には、もう法人化の話も出ていたんですか?

そうですね。スタッフも10人規模になってきてて、売上もかなり大きくなっていたので、「このまま個人事業のままじゃ危ないよね」という話は自然と出てきてました。
で、浅山から『法人化したい』って話が出たのがそのタイミングです。
法人化には社労士資格が必須になる役員(=社員)の条件もあって、もしかしたら僕が資格を取るのを待っててくれたのかもしれないですね。

——そこからいよいよ法人化して、現在のエフピオに繋がっていくんですね。

はい。法人化のタイミングで、組織の中に“営業と対応の幅”がしっかりできたことで、今のような「お客様が増える仕組みがある状態」が完成していったと思います。
エフピオの成長って、営業の仕組みと、アウトプットの安定性が両立できたことが大きいんです。
これがあるから、安心して紹介もされやすいし、紹介がまた新しいご縁を呼ぶ…っていうサイクルが回っていくんですよね。

顧問料=サブスク、それに伴う責任──「もらった以上の価値を返したい」という姿勢

「顧問料をもらってる以上、それ以上の価値を提供したい」

——石川さん、社内でどう見られてると思います?

いや〜…「怖い人」って思われてるんじゃないですかね(笑)。

——そんなことないですよ(笑)この前、浅山さんと少しお話ししたとき、「石川さんは、お客様のことを一番に考えてるから厳しいんだ」っておっしゃってました。

あ、それはすごくありがたいですね。実際、自分としてもそういうつもりでやってます。
顧問料をいただいている以上、「それ以上の価値を提供できていなかったら申し訳ない」っていう気持ちが強いんですよ。

「顧問契約って“サブスク”なんですよ」

これってよく言ってるんですけど、顧問契約って“サブスク”なんですよ

——社労士のサブスク…あんまり聞かない言葉ですね。

そうですよね(笑)でも、毎月定額で顧問料をいただいているって、まさにサブスクリプションビジネスなんですよ。
その分、常に価値を提供し続ける責任があるんです。

——じゃあ、顧問料って、いろんな業務がパッケージ化された定額サービスってことですね?

まさにそうですね。相談顧問、手続き顧問、給与計算顧問……呼び方はいろいろありますけど、実態としては全部“顧問料”という定額の価値提供。
でもね、ここで重要なのが、「右から左に書類を流すだけだったら意味がない」ってことなんです。
たとえば「入社の手続き」を頼まれたとき、ただそのまま書類を出すだけなら、誰でもできるんですよ。
でも、「この人、雇用保険の対象になってますか?」「この金額、合ってますか?」みたいなチェックを入れるのが、我々の仕事。

「年間2万件の手続きから“違和感”を見つける」

——実際、どれくらいの件数を処理されてるんですか?

年間で約2万件の手続きがあります。
だからこそ、「この数字、ちょっと変だな」「通勤手当漏れてない?」みたいな違和感に気づけるんです。
今のクラウドやAIは、基本的に“右から左へ流す”設計です。
でも、私たちはその途中で「これはおかしい」と判断して、立ち止まることができる。
それが、顧問料をいただく“プロの価値”だと思ってます。

「役所は間違いを指摘してくれない」

——たとえば間違った手続きがそのまま通っちゃったら、どうなるんですか?

怖いのが、役所って「間違ってますよ」って言ってくれないんですよ。
来たものをそのまま処理しちゃうんです。
たとえば、「標準報酬月額を30万円で申請したけど、実は通勤手当が入ってなくて本当は35万円だった」とか、そういうミスがあると、数ヶ月後に年金事務所が調査に入って、「不当に安い」と指摘がくるんです。
だからこそ、最初の段階でちゃんと“プロの目”で見ておくことが重要。
それができるから、顧問料という「毎月の信頼」をいただけるんです。

「事務の仕事にも“専門性”がある」

——なるほど…。一見“事務仕事”に見えるけど、実は専門家の目が入ってるんですね。

はい。私はよく「事務仕事のクオリティには、専門性が宿る」って言ってます。
処理するだけなら誰でもできる。
でも、「その処理は正しいか?」「背景にある意図は?」まで考えられるのが、専門家の仕事なんですよ。

浅山代表、今後の組織について──バトンをどう渡し、組織をどう育てるか

クレームから見えた“当たり前”の基準

——この前、津田さんの密着取材をさせていただいた時に、ちょっと印象的だった出来事があって…。ズバリお聞きしたいんですけど、クレームが入ったとき、石川さんはどう思われたんですか?

シンプルですよ。お金をいただいてる以上、ちゃんとレスポンスをしなきゃいけない。
それが抜けてたから、起きるべくして起きたと思ってます。

——なるほど。石川さんって、何に一番“怒る”んですか?

うーん、“怒る”というよりも、お客様を軽んじてると感じたときは、厳しく言いますね。
お客様から「育休中にお金がもらえるって聞いたんですけど、詳しく教えてもらえますか?」っていう質問が来たとしますよね。
そのときに、「このページ見てください」ってURLだけポンと貼って返すのが、僕の中で一番NGです。
それって、AIでもできるじゃないですか。
お客様は「その内容を咀嚼して、自分たちのケースにどう当てはまるか教えてほしい」と思って聞いてるんですよ。
そう。それを汲まずに「はい、これ読んでください」だけだと「何も考えてません」って言ってるのと同じ。
我々は、法人としての見解とプロとしての提案を返す責任があると思ってます。

——でも、実際に現場はめちゃくちゃ忙しいわけですよね?

はい、正直去年は労働時間も多くなってしまって、かなり現場は大変でした。
なので、大規模にパートさんを採用して、体制の強化を図りました。
どれだけマニュアルがあっても、業務スピードを決めるのは“熟練度”なんですよ。
結果、経験者に仕事が集中してしまうという偏りがまだ解決しきれてない。
採用と育成、この2つは今のうちの“アキレス腱”だと思ってます。

「5年後、俺引退するわ」と言った浅山代表の想い

——ところで…浅山さんが「5年後、俺引退するわ」って話をされていたと聞きました。それについてはどう感じました?

あ、それ社内でも言ってましたね(笑)私は正直「あ、来るべき時が来たな」って思いました。

——驚きはなかった?

特には。というのも、創業者って、普通は長く会社に残りたがるんですよ。
でも我々は、100社以上の企業を顧問として見てきて、「経営者が高齢で残ってることで、次世代が育ってない」ってケースを本当にたくさん見てきたんです。

「攻め」と「守り」、そのバランスが崩れた時に

——それを踏まえて、浅山さんの判断をどう見てますか?

すごい決断だなと思いました。でも、エフピオの未来を考えたら、どこかで必ずバトンタッチは必要なんです。

——石川さんはどちらかというと“攻め”のタイプですよね?

はい。営業で仕掛けたり、仕組みを変えたり、新しいことを進めるのが好きです。
対して、浅山はどちらかというと“守り”で、パッション型。私はロジカル型。
今はそのバランスが取れているけど、浅山が抜けたときに、今の“守り”をどう維持するのかが課題になります。

——石川さんって、全部できちゃうじゃないですか。

いやぁ…時間と意欲があれば、一応どうにかしてるだけです(笑)
でも、それがむしろ問題で。プレイヤーとして動きすぎると、組織の成長が止まるんですよね。
まさに。それで今、「組織改善プロジェクト」っていうのを進めていて業務のスキームやシステムを見直してるところです。
「石川がいないと回らない」は、組織としてダメですから。

5年後のエフピオはどうなっていたいか

——もし5年後、浅山さんからバトンタッチされるとしたら、その時エフピオをどうしていたいですか?

まず、社内の役割分担を明確にしたい。
今は私が“今起きている問題”にリソースの8割を使っていて、“未来への投資”が2割なんです。
未来に8割、メンテナンスは2割くらいにしたい。
そのためには、“今”を任せられる人材が必要。 でも、その土壌は整いつつあると感じてます。

——確信ですか?希望ですか?

確信なんか1つもないです(笑)でも、希望があるから進めるんですよね。

この前、うちのスタッフの服部が育休から1年ぶりに戻ってきたんです。
そしたら、「エフピオがめちゃくちゃ会社っぽくなってて、びっくりした」って言ってくれて。
毎日いると分からないけど、1年空けると一気に進化してる。
これをあと5年繰り返したら、とんでもないことになると思うんです。

——それは楽しみですね!

ありがとうございます(笑)。これからも、もっといい組織を作っていきます。

石川宗一郎

  • 特定社会保険労務士/エフピオ代表
  • 入社年度:2015年

学生時代、原付にキューを担いで千葉中のビリヤード場を回っていた。大会にも出場し結構いい成績を修めていた。やるからには上を目指したいタイプ。エフピオをいつか店頭公開することが夢。まずは地元の千葉県で、圧倒的な業界シェアを取りたい。そして全国へ。「やらずに後悔するよりやって後悔する」がモットー。